それは冬の終わりの、いつかの夜。

その日はレッスンだったのか仕事だったのかはもう思い出せないけれど、春も近いというのにとても寒い日で、おまけに酷く風が強くて、歩いていると冷たい空気が身を切るようだった。

舞踏会が無事に成功した後、凛ちゃんも未央ちゃんも、そして私もそれぞれ別々の仕事が多くなっていた。でも、少し先になるけれどニュージェネのワンマンライブも決まっていたし、コミュニケーションが足りなかったね、という未央ちゃんの言葉を受けて、二人とはできるだけ連絡を取るようにしていたから気持ちの面で疎遠になったりすることはなかった。

それでも久しぶりに凛ちゃんと一緒に帰ることができたのは嬉しかったのに、寒さのせいかあまり会話が弾まなかったし、今思えば目を合わせることも少なかったような気がする。

帰り道の途中、もともと人通りのそう多くないその通りは、寒さのせいか私たち以外に歩いている人が見当たらなくて、横断歩道の手前で信号待ちをしているときに、その日一番くらいの強い風が吹いた。

「っ、わっ、…」

近くのビルでガタガタと大きく看板の揺れる音、耳元で、びゅう、と風が空気を切り裂く音。
思わず目を閉じ、風が弱まるのを待って目を開ける。

「…今の風、すごかったですね」

「うん、本当に。卯月大丈夫?」

そう言って、凛ちゃんが軽く私の手に触れた。
その瞬間、私は自分でも驚くくらい動揺して、声を絞り出すようにして返事をした。

「あ、だ、大丈夫…」

本当にとても寒い日だったというのに、偶然にも私は学校に手袋を置き忘れていた。
ポケットに入れていた凛ちゃんの手は、外気に晒されて冷えきっていた私の手よりも少し温かかった。
私はどうしようって焦って、何に焦ってるんだろうってぐるぐる考えて、それ以上何も言えなくて、そのことにまた焦っていた。
凛ちゃんは不思議そうな顔で私を見ていたけれど、信号が青に変わったことに気がつくと、「あ」と小さく声を上げて歩き出そうとした。
離れていくその手を、私は無意識に追いかけて掴んでしまった。

「え?」

「あ、ご、ごめんなさい」

驚いて振り返った凛ちゃんの顔を見て慌てて手を放したけれど、もう本当に焦っていて、頭が真っ白になりそうなのを必死で押し止めて当たりさわりの無い言葉を選んで誤魔化すように笑った。

「えぇと、その、凛ちゃんの手が温かくて、つい」

けれどうまく笑えなくて、どうしようって目を逸らした私を見ながら、凛ちゃんは少し考えるように首を傾げて、それからすぐに私の手を掴んで歩き始めた。

「信号、変わっちゃうから」

「え、あ、はい」

ほんの少し先を歩く横顔は街灯の明かりが暗くて分かりにくかったけれど、赤くなっているような気がした。
仕事でも何でもない時に二人だけで手を繋ぐのは初めてだなって、そう思った途端に私も顔が熱くなるのがわかって、凛ちゃんが同じことを考えていればいいのにと願っていた。
それから私も凛ちゃんも何も言わずに歩き続けて、凛ちゃんの家の手前でようやくどちらからともなく手を離した。

「お、お疲れ様です。じゃあ、おやすみなさい」

「…うん、おやすみ」

私はなんとなく気まずくて、逃げるように背を向けて自宅の方に歩き出した。それから曲がり角で立ち止まって何気なく、本当に何気なく振り返った。
その瞬間、振り返るんじゃなかった、って後悔した。

家の前に立ったまま、私を見送っていた凛ちゃんと目が合った。
目が逸らせなくて、喉が詰まるような気がして、苦しかった。どうしたらいいのかわからなくて、ただ見つめ返すことしかできずにいた。
小さく零れた吐息がとても白かった。

いつまでも動き出さない私に気づいたのか、凛ちゃんが小さく苦笑して片手を挙げたのを見て、ようやくぎこちなく手を振って角を曲がり、家路を急いだ。

帰宅してただいまの挨拶もそこそこに自分の部屋に駆け込むと、もう立っていられなくてコートも脱がずに床にぺたりと座り込んだ。

どうしよう。

本当に信じられなくて、認められなくて、今まで考えたことなかったって思う半面、でも薄々どこかでそんな気がしていたと思った。

でも、こんなことって。

だめだよ、って頭の中でもう一人の私が、アイドルとしての私が、そんなのだめだよって警告している。
それに私は、でも、でも、って必死に叫ぶ。

私は部屋に飾っていたたくさんの写真を見て、一緒に写っている凛ちゃんを見て、こんなのってないよって呟いた。

「私、凛ちゃんのこと」

膝の上に置いた手にぎゅっと力を込めて、はっ、って息を吐いたら、視界が滲んでもう止められなかった。

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