ドアを閉めたら本当にもう我慢ができなくなって、うづき、と呼んだ。自分の声なのに耳に届いたそれは随分切羽詰まった響きを帯びていて、少しだけ怯む。
先に部屋に入っていた卯月は私の声を聞いて振り返り、少し驚いたような顔をする。
手を伸ばすと嬉しそうに笑って抱きついてきた卯月の匂いと、柔らかい感触に堪らなくなって、彼女の背中と腰に回した腕にぐっと力を込めて抱き締めた。
先に部屋に入っていた卯月は私の声を聞いて振り返り、少し驚いたような顔をする。
手を伸ばすと嬉しそうに笑って抱きついてきた卯月の匂いと、柔らかい感触に堪らなくなって、彼女の背中と腰に回した腕にぐっと力を込めて抱き締めた。
このところ私はトライアドプリムスのライブツアーのために平日はレッスンと打ち合わせ、取材や撮影、週末にライブという日々を送っていたし、卯月の方も特番ドラマの撮影をこなしつつ、いよいよ大詰めとなった受験勉強に打ち込んでいた。
お互い学校生活との両立が精一杯で、当然会うこともできず、電話をすることも、メッセージのやり取りすらも儘ならない状態だった。
だけどそんな忙しい日々もようやく一区切り。
昨日無事にツアーの千秋楽を迎えた私は今日は久しぶりのオフで、卯月が訪ねてくるのを今か今かと待ちわびていた。
学校から帰ってきてずっとそわそわして落ち着かず、家の中を熊のようにうろうろと歩き回っていたから両親は不審に思っただろう。でもそんなことを気にしてはいられなかった。
部屋の外までは落ち着いて振る舞って見せていたけれど、これ以上隠すことなんてできない。とにかく私はもう卯月に触れたくてならないし、きっと今なら普段は言わないようなことも言ってしまうし、しないようなこともしてしまう。
卯月を呼ぶ声も、きっと後で聞いたら耳を塞いでしまいたくなるくらい情けない声なんだろう。
会いたかったし、声が聞きたかった。凛ちゃん、ってその声で呼んでほしかった。私の前で笑ってほしかった。
甘い匂いと柔らかい髪、華奢な身体、心地よい体温。
記憶の中とは比較にならない、今腕の中に閉じ込めている卯月の全部が私を急速に満たしていく。
可愛い。好き、大好き。なんでこんなに好きなんだろう。
どうしよう。
卯月に対する想いが氾濫して、止めることもできない。
扱い慣れない強い感情を上手く抑えることができなくて、卯月が少し苦しそうに、凛ちゃん、と呼ぶまで私は彼女を思いきり抱き締めたままだった。
「ごめん。苦しかった、よね?」
「えっと、少しだけ。…えへへ、でも大丈夫ですよ」
腕の力を緩めて身体を離すと、卯月はまた嬉しそうに笑った。
一度視線を逸らして、それから少し躊躇いがちに口を開く。
「…あの、凛ちゃん」
「なに?」
「その、寂しかった、ですか?」
「…うん」
「私に、会いたかった?」
「…うん」
至近距離で面と向かって改めて訊かれると恥ずかしくて、うん、としか答えられない。
卯月は私の答えを聞いて、小さくふっと笑った。
それはいつものように見ていて元気の出るような明るい笑顔ではなくて、どちらかといえば苦笑に近い、困っているような笑顔だった。
見つめられているのがなんとなく照れくさくなって、どうしたの、と声をかけようとした時、卯月がすっと表情を消して目を細めた。いつも表情豊かな卯月の突然の真顔にどきりとする。
綺麗な瞳から、目が逸らせない。
やがて視線が唇に落とされ、キスされそうだと息を潜めて緊張していると、卯月の両の手のひらが私の頬をそっと包み込んで、右手の親指が唇に触れるか触れないかのギリギリのところをなぞった。
咄嗟のことに反応できずにいる私に何も言わないまま、卯月の右手はゆっくりと動き、指先が顎を通ってじわじわと首筋を滑る。
ぞくりとして思わず薄く開いた唇にようやく卯月の唇が重ねられて、その隙間から早々に舌が差し入れられた。
内側から歯列をなぞられ、舌を強く吸われると、絡められた舌のあまりに直接的で生々しい感触に身体がふるりと震えた。
湧き上がる衝動に堪えられずにぎゅっと目を閉じると、右の頬に添えられていた卯月の手が首の後ろに回される。もう一方の手も耳の後ろに移動したかと思うと追い討ちをかけるように指先がピアスの留め具の辺りを擽った。
こういう深いキスをするのは初めてというわけでは、ない。
けれど慣れているというほど経験があるわけでもないし、ここまで激しいのはやっぱり初めてで。
溺れそうなほど情熱的な口付けに胸の奥がじりじりと焦げ付くような感覚を覚える。
口に出して言ったことはないけれど、こういう"何か"を誘発されそうなキスはなんとなく苦手だった。
卯月に対してはいつだって自分を格好良く見せたいのに、それは私の冷静さとか理性とか、そういう「私」を保つためのものをすべて奪い去って丸裸にしてしまう。
いつもは覆い隠している感情が剥き出しになり、膨れ上がり、抑えつけることなんて到底できそうにない。
酷く強い、その"何か"でどうにかなってしまいそうで、正直に言えば少し怖くて。
考え込んでいたせいで応える舌の動きが鈍ったことに焦れたのか、卯月は私の顎の付け根を両手でしっかり固定してキスをより深くしようとした。
「…っ、卯月、…待っ、て」
反射的に、まずい、と思って慌てて卯月の手を掴んで顔を離すと、赤い舌がチラリと見えてクラクラした。
濡れた唇が目を奪うのに堪えて自分の口許を拭い、息を整える。
数分ぶりに肺に十分な酸素が行き渡り、私は少し冷静さを取り戻した。
「…ぁ」
卯月は一瞬ぼうっと私の顔を眺めていたかと思うと、ぼんっと音が出るような勢いでいきなり真っ赤になって狼狽え始めた。
「り、凛ちゃん。…えぇと、その、あの…」
しどろもどろに聞き取れないほど小さな声で何か言ったかと思うと、片手で顔を覆って俯いてしまう。
「え、卯月? どうしたの」
「うぅ、見ないでください」
肩に手を置くと卯月は慌てて私から離れて部屋の隅に逃げた。
私から顔が見えないように手で隠して、でも耳まで赤いのが分かる。
「卯月」
「や、凛ちゃん、来ないで」
「なんで」
「な、なんででもです」
「そんなに逃げられると傷つくんだけど」
「だって。だって、凛ちゃんが」
私が、なに? 言いながらそっと近づいていく。
もう少しで手が触れるというところで、卯月が勢いよく顔を上げたかと思うと、自分の鞄を引っ掴んでドアの方にさっと逃げた。
「あの、凛ちゃん本当にごめんなさい。私、今日はもう帰ります」
「え、今来たとこじゃない」
「ごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと待って卯月!」
嘘でしょう、と思ったのに本当にドアを開けて部屋を出る。慌てて追いかけたけれど卯月はそれよりもずっと素早く階段を駆け降りて家の外に出ていってしまった。
階段を見下ろしたまましばらく呆然としていると、近くにいたんだろう、母がひょっこり顔を出して声を掛けてくる。
「…凛、卯月ちゃんと喧嘩でもしたの」
「してない」
「謝っておいた方がいいわよ」
「してない、って」
はいはい、と適当な返事をされて納得がいかないまま部屋に戻った。
何がダメだったのかさっぱり分からず、思い出すのはキスをする前の卯月の困ったような顔、唇と舌の感触。
どうして。
近づこうとしたのを拒否されたことが思ったよりもショックでしばらく腑抜けになっていた私に、少し経ってから卯月からのメッセージが届く。
ごめんなさいの文字と、困った顔の可愛らしいスタンプ。
怒っているわけじゃないんだと安堵して、でも臆病者の私は理由を訊くこともできない。
早く会いたい、なんて尚更言えるわけもなかった。
お互い学校生活との両立が精一杯で、当然会うこともできず、電話をすることも、メッセージのやり取りすらも儘ならない状態だった。
だけどそんな忙しい日々もようやく一区切り。
昨日無事にツアーの千秋楽を迎えた私は今日は久しぶりのオフで、卯月が訪ねてくるのを今か今かと待ちわびていた。
学校から帰ってきてずっとそわそわして落ち着かず、家の中を熊のようにうろうろと歩き回っていたから両親は不審に思っただろう。でもそんなことを気にしてはいられなかった。
部屋の外までは落ち着いて振る舞って見せていたけれど、これ以上隠すことなんてできない。とにかく私はもう卯月に触れたくてならないし、きっと今なら普段は言わないようなことも言ってしまうし、しないようなこともしてしまう。
卯月を呼ぶ声も、きっと後で聞いたら耳を塞いでしまいたくなるくらい情けない声なんだろう。
会いたかったし、声が聞きたかった。凛ちゃん、ってその声で呼んでほしかった。私の前で笑ってほしかった。
甘い匂いと柔らかい髪、華奢な身体、心地よい体温。
記憶の中とは比較にならない、今腕の中に閉じ込めている卯月の全部が私を急速に満たしていく。
可愛い。好き、大好き。なんでこんなに好きなんだろう。
どうしよう。
卯月に対する想いが氾濫して、止めることもできない。
扱い慣れない強い感情を上手く抑えることができなくて、卯月が少し苦しそうに、凛ちゃん、と呼ぶまで私は彼女を思いきり抱き締めたままだった。
「ごめん。苦しかった、よね?」
「えっと、少しだけ。…えへへ、でも大丈夫ですよ」
腕の力を緩めて身体を離すと、卯月はまた嬉しそうに笑った。
一度視線を逸らして、それから少し躊躇いがちに口を開く。
「…あの、凛ちゃん」
「なに?」
「その、寂しかった、ですか?」
「…うん」
「私に、会いたかった?」
「…うん」
至近距離で面と向かって改めて訊かれると恥ずかしくて、うん、としか答えられない。
卯月は私の答えを聞いて、小さくふっと笑った。
それはいつものように見ていて元気の出るような明るい笑顔ではなくて、どちらかといえば苦笑に近い、困っているような笑顔だった。
見つめられているのがなんとなく照れくさくなって、どうしたの、と声をかけようとした時、卯月がすっと表情を消して目を細めた。いつも表情豊かな卯月の突然の真顔にどきりとする。
綺麗な瞳から、目が逸らせない。
やがて視線が唇に落とされ、キスされそうだと息を潜めて緊張していると、卯月の両の手のひらが私の頬をそっと包み込んで、右手の親指が唇に触れるか触れないかのギリギリのところをなぞった。
咄嗟のことに反応できずにいる私に何も言わないまま、卯月の右手はゆっくりと動き、指先が顎を通ってじわじわと首筋を滑る。
ぞくりとして思わず薄く開いた唇にようやく卯月の唇が重ねられて、その隙間から早々に舌が差し入れられた。
内側から歯列をなぞられ、舌を強く吸われると、絡められた舌のあまりに直接的で生々しい感触に身体がふるりと震えた。
湧き上がる衝動に堪えられずにぎゅっと目を閉じると、右の頬に添えられていた卯月の手が首の後ろに回される。もう一方の手も耳の後ろに移動したかと思うと追い討ちをかけるように指先がピアスの留め具の辺りを擽った。
こういう深いキスをするのは初めてというわけでは、ない。
けれど慣れているというほど経験があるわけでもないし、ここまで激しいのはやっぱり初めてで。
溺れそうなほど情熱的な口付けに胸の奥がじりじりと焦げ付くような感覚を覚える。
口に出して言ったことはないけれど、こういう"何か"を誘発されそうなキスはなんとなく苦手だった。
卯月に対してはいつだって自分を格好良く見せたいのに、それは私の冷静さとか理性とか、そういう「私」を保つためのものをすべて奪い去って丸裸にしてしまう。
いつもは覆い隠している感情が剥き出しになり、膨れ上がり、抑えつけることなんて到底できそうにない。
酷く強い、その"何か"でどうにかなってしまいそうで、正直に言えば少し怖くて。
考え込んでいたせいで応える舌の動きが鈍ったことに焦れたのか、卯月は私の顎の付け根を両手でしっかり固定してキスをより深くしようとした。
「…っ、卯月、…待っ、て」
反射的に、まずい、と思って慌てて卯月の手を掴んで顔を離すと、赤い舌がチラリと見えてクラクラした。
濡れた唇が目を奪うのに堪えて自分の口許を拭い、息を整える。
数分ぶりに肺に十分な酸素が行き渡り、私は少し冷静さを取り戻した。
「…ぁ」
卯月は一瞬ぼうっと私の顔を眺めていたかと思うと、ぼんっと音が出るような勢いでいきなり真っ赤になって狼狽え始めた。
「り、凛ちゃん。…えぇと、その、あの…」
しどろもどろに聞き取れないほど小さな声で何か言ったかと思うと、片手で顔を覆って俯いてしまう。
「え、卯月? どうしたの」
「うぅ、見ないでください」
肩に手を置くと卯月は慌てて私から離れて部屋の隅に逃げた。
私から顔が見えないように手で隠して、でも耳まで赤いのが分かる。
「卯月」
「や、凛ちゃん、来ないで」
「なんで」
「な、なんででもです」
「そんなに逃げられると傷つくんだけど」
「だって。だって、凛ちゃんが」
私が、なに? 言いながらそっと近づいていく。
もう少しで手が触れるというところで、卯月が勢いよく顔を上げたかと思うと、自分の鞄を引っ掴んでドアの方にさっと逃げた。
「あの、凛ちゃん本当にごめんなさい。私、今日はもう帰ります」
「え、今来たとこじゃない」
「ごめんなさい!」
「ちょ、ちょっと待って卯月!」
嘘でしょう、と思ったのに本当にドアを開けて部屋を出る。慌てて追いかけたけれど卯月はそれよりもずっと素早く階段を駆け降りて家の外に出ていってしまった。
階段を見下ろしたまましばらく呆然としていると、近くにいたんだろう、母がひょっこり顔を出して声を掛けてくる。
「…凛、卯月ちゃんと喧嘩でもしたの」
「してない」
「謝っておいた方がいいわよ」
「してない、って」
はいはい、と適当な返事をされて納得がいかないまま部屋に戻った。
何がダメだったのかさっぱり分からず、思い出すのはキスをする前の卯月の困ったような顔、唇と舌の感触。
どうして。
近づこうとしたのを拒否されたことが思ったよりもショックでしばらく腑抜けになっていた私に、少し経ってから卯月からのメッセージが届く。
ごめんなさいの文字と、困った顔の可愛らしいスタンプ。
怒っているわけじゃないんだと安堵して、でも臆病者の私は理由を訊くこともできない。
早く会いたい、なんて尚更言えるわけもなかった。