無限航路
その日、駅はずいぶんと混雑していた。
改札、ホーム。行きかう人は皆、足早に通り過ぎていく。
普段電車を利用しないからわからないけれど、いつもこうなのかもしれない。時間帯から推測すると、おそらく帰宅ラッシュということになるのだろう。電車に乗り込むと、中は思った以上に混んでいた。
混みあった車内の、開いたのとは反対側のドア付近にスペースを見つけ、そこに二人は潜り込む。ただ、スペースと言ってもそれは申し訳程度だった。人込みに押し潰されそうな中、順は壁に手をついて夕歩がその被害を受けないように踏ん張っているが、満員電車の圧力には抗し難く、二人の距離は随分と近いものになっていた。
気がつけばわずか数センチ先に、お互いの身体がある。
順の髪の香りも、かすかに触れる腕から伝わる体温も、いつからか順との距離を意識するようになってしまった夕歩にとっては、心を騒がせる厄介なものでしかない。

「夕歩、大丈夫?苦しくない?」

すぐ目の前の順の唇が動き、気遣うように細い指が肩に軽く触れる。
その時、ガタンという音とともに電車が揺れた。

(あ……)

一瞬、順と目が合った。
胸がクッと締め付けられるような痛みに襲われる。ドキドキするとか、そんな甘さはなかった。
ただただ悲しくて、泣き出してしまいたい衝動が身体を駆け巡る。
このまま順に抱きついて泣いてしまおうか。
そうすればもしかするとこの胸の痛みも少しはましになるのかもしれない。
でもそれが一体何の解決になるというのだろう。

「夕歩?」
「……うん、大丈夫」

答えると、順はホッとしたような顔をして窓の外に視線を移してしまった。
夕歩はため息をつき、気付かれないように順の上着の裾を掴んだ。

電車は相変わらず混んでいた。
地元の駅に着いたのは、辺りが薄闇に包まれ、街灯がぽつりぽつりとつき始めた頃。
閑静な住宅街を通り抜け、寮に向かう。
いつもと様子の違う夕歩に順は戸惑ったようで、斜め後ろを離れて歩いていた。

どうしたらいいのか。
どうすればいいのか。
順は何を考えているのか。

いろんなことが混ざり合って苛立ちを生み、喉に何かが詰まったような感覚を覚える。
それがまた苛立ちを増幅させていく。

だいたい、順がはっきりしないから。
あたしは久我の子だから、とか。姫の護衛、とか。
それは幼い頃からの順の常套句で大した意味はないのかも知れないけど、それに腹が立つのは、本当のところ順がどう思っているのか解らないからだと思う。
笑顔に何もかも包んで隠してしまった順は、自分にすら本心を見せてくれない。

「あの…夕歩?」

考えるうちに足が止まってしまったからだろう。順は遠慮がちに声をかけて近付いてきた。
辺りはもうすっかり暗くなっており、表情はよく見えない。

「順」
「…なに?」

このままじゃ何も解らないよ。
一緒にいたって、離れているのと同じじゃない。
もう何も変わらないなんて、もうどこにも進めないなんて、私はそんなの耐えられないよ。

湧き上がる感情に夕歩は抵抗しなかった。
驚く順の頬を両手で挟んで引き寄せ、唇を重ねた。
幾度も角度を変えて口付けるうちに、屈みこむような姿勢になっていた順は足元がふらつき、それにしたがって二人は徐々に移動する。

背中が塀に当たったところでハッとして薄く開いた目蓋の先、順が何か囁いた。
瞬間、強い力で塀に押し付けられ、やや乱暴に口付けられる。

青白い炎に全身を焼かれるような、それは悲痛なキスだった。

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