2. I've totally fallen for you.
三学期になり、一日、一日と卒業が近づいている。それを意識するたび、志摩子の心は千々に乱れた。

このところ気がつくと同じことばかり考えている。
そしてこの想いはいったい何なのか。自分はいったい何を求めているのか。いくら考えても答えは出ずに堂々巡りをしている。

志摩子はかつて生きることが苦しかった。
生きるのをやめたいと思ったことは一度もなかったが、生きるということに毎日もがき続けていた。
要するに彼女は生きることに不器用な人間だった。
今思えば仏教の寺で育った志摩子がカトリックに惹かれたのは偶然であり、そして必然であったのだろう。
志摩子は信仰に救いを求め、そしてその信仰を守り続けて生きたいと願った。それが志摩子の生きる術だった。
社会に距離を置いていた志摩子を変えてくれたのはお姉さまである佐藤聖であり、山百合会の仲間たちであった。
そしてもっとも自分を変えてくれたのは乃梨子であった。

いつの頃からか、志摩子は乃梨子と対する時――例えば、指先が触れたとき、見つめられたとき、これまで経験したことのない感情を覚えるようになっていた。
それは知らぬ間に志摩子の心の内に住みつき、志摩子を満たし、潤し、温もりを与え、そして傷つけた。
やがて苦しみに耐えかねた志摩子はその感情を何度も捨てようとした。しかしどうしても捨てることはできなかった。
それは彼女が乃梨子を想う気持ちのすべてであり、つまり、それは如何なることがあろうとも捨てることなどできるはずもなかった。
遂に諦念した彼女はその感情について思考することを止め、制御することだけを考えるようになった。

「志摩子さん」

掃除を終えた志摩子は帰宅しようと教室を出たところで呼び止められた。
それは今まさに志摩子の頭の中をいっぱいにしている張本人だったので、どきり、と一度大きく跳ねた心臓を宥め、彼女は意識してゆっくりと振り返った。

「乃梨子。どうしたの?」

「志摩子さんさえよければ、一緒に帰ろうと思って」

「そう。それじゃ一緒に帰りましょう」

「よかった。ちょっと掃除が長引いちゃったから、もういないかと思ったんだけど、会えてよかった」

乃梨子の言葉を聞いて、一度は落ち着いた志摩子の心臓がまた騒ぎ出した。どうして、そんなにも素直に気持ちを口にできるのだろう。
志摩子とて、以前ならわざわざ会いに来てくれてありがとう、と返せたはずだ。それなのに、今はなぜ素直に応じられないのだろう。
嬉しいなら嬉しいと、悲しいなら悲しいと、自分の気持ちを伝えることが、とても難しいことのように思える。

乃梨子と一緒に帰るのは久しぶりだった。
生徒会役員選挙後、三年生である志摩子たちは、例年通りあまり山百合会の活動には顔を出さないようにしていた。
それが来年度からすべてを担う妹たちへの思いやりであり、餞でもあったからだ。
とはいえ例年よりも部活動関係者が多く、人手不足なのは否めなかったので、卒業式関連の仕事以外は、薔薇さま三人がある程度交代で手伝ってはいたが。

「最近、元気ないね」

「え?」

分かれ道のマリア様まで来て、お祈りを済ませたところで、乃梨子がぽつりと呟くように話しかけた。
先ほどまで山百合会の仕事の進捗や、最近あったことなどを話していたところだったので、志摩子は虚を突かれた思いがした。

「気のせいかと思ったんだけど、ちょっと上の空だし。悩み事でもあるの?」

「……え、ええ。ごめんなさい、ちょっと気になることがあって」

「そっか。卒業前だもんね」

「そうよ。……きっと、そうなの」

会話をしているのに自分に言い聞かせるような言い方だったからだろうか、乃梨子は怪訝な顔をした。

「どうしたの。なんか志摩子さん、変だよ」

「そんなことないわ」

「変だよ。私、最近ずっと志摩子さんの様子がおかしいと思ってたんだ。元気がないし、辛そうだし、もしかして私、何かしちゃったかな」

「いいえ、乃梨子は何もしてないわ」

「でも、私以外といるときはそんなでもないみたいだし、やっぱり私が原因じゃないの」

「違うの、違うのよ。……ただ、私が、その、あなたのことばかり考えているから」

口に出してから、志摩子ははっとした。焦ったからとはいえ、何を言っているのだ。
無意識に余計な発言をしてしまった自分に失望しながら乃梨子を窺うと、当の本人は困ったような顔をして苦笑していた。

「……志摩子さん、私、そんなに頼りないかな」

「そんなことないわ。乃梨子はとても頼りになる、私の自慢の妹よ。……ごめんなさい、さっきの言葉は忘れて」

「わかった。困らせたいわけじゃないんだ。志摩子さんがそう言うなら」

何も聞かなかったことにするよ、と言って乃梨子が歩き出した。志摩子はこの話が打ち切られたことに安堵しながら、後を追った。
追いつく寸前、乃梨子が呟いた。

「一瞬、勘違いしちゃった」

志摩子さんに告白されるのかも、って。

瞬間、志摩子は雷霆に撃たれたような思いで立ち止まった。乃梨子は気付かず、振り返らない。独り言だったのかもしれない。
胸中であの感情が急速に広がり、心を満たし、溢れんばかりになったところで、志摩子は無意識に蓋をした。
一度目を閉じ、目を開けると彼女は冷静さを取り戻した。

本当は、もう溢れ出してしまっていたのだ。
心の内に仕舞い切れなくなったあの感情はもうずっと前から、氾濫した川の水のように流れ出て、彼女の全身を浸していた。

本当は、もう知っていたのだ。
どれほど違うと叫んでも、どれほど違うと誤魔化しても、それは彼女に訴えることを止めなかった。認めさせることを止めなかった。

本当は、もう気付いていた。気付かないふりをしていた。
まるで恋をしているようだと、恋焦がれているようだと、求めているようだと、本当は気付いていた。
恋をしていると、愛していると、本当は気付いていた。
本当は、ずっと解っていた。

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