Interlude - I've had a crush on you for a long time.
リリアンに入学して二度目の夏。
私は志摩子さんと、夏休みを利用して観光地となっている向日葵の名所に出掛けた。
目の前に広がる何万本もの向日葵は、想像していたよりも遥かに強く、圧倒的な迫力をもって私たちを迎えた。
どこまでも続く黄色の海。眩しいくらいに鮮やかな色が目を焼くようで、私は目を細めた。

「すごいわね。どこを見てもひまわりだらけよ」

「五万本って話だけど、数を聞くよりも目で見ると実感するね」

少し興奮ぎみに話す志摩子さんの隣で、私はガイドブックを眺めて答える。
毎年何万本もの向日葵が植えられるというこの場所は、話に聞いたことがあるくらいで、来るのは初めての、いわゆるデートスポットだ。
いそいそと先へ行く志摩子さんを追って、私はゆっくりと向日葵でできた迷路の中へ足を踏み入れた。

迷路を形作る向日葵は背が高く、密集していて周囲はよく見えなかった。観光客はそれなりにいるはずなのに、子どもの声が時折どこかから聞こえてくる以外、他人を感じさせるものは何もない。
私たちは二人きりだった。
学校でも、一緒に出掛けたときでも、そんなことは今までもたくさんあったはずなのに、何故だか今日は二人きりだということを強く意識してしまう。

私にとって志摩子さんは特別で、でも何がどう特別だと説明ができるわけではない。
ただ私にとっての志摩子さんはあまりにも大きすぎる存在だった。
思えば、リリアンにおける「姉妹」という関係は非常に便利で、そして非常に曖昧な言葉だった。
先輩や後輩に向ける言い表しようのない感情をたった一言で片付けてしまう魔法のような言葉。
私たちはそれを受け入れると同時に、その感情の本質に背を向けて、安穏と日々を過ごしている。そして事実、大半の姉妹にとってそれは考える必要もない他愛ない感情にすぎない。

「乃梨子?」

声をかけられて顔を上げると、志摩子さんが振り向いて私の方を見ていた。
私はいつの間にか立ち止まっていた。

私は、純粋に志摩子さんが好きだった。
容姿や性格は言うに及ばず、挙措、身に纏う空気まで好ましいと思っているし、敬愛している。
初めて会ったときから一貫して、私は志摩子さんが好きだった。
出会ってから一年以上が経った今でも、志摩子さんのことを好きだと思う気持ちは膨れ上がる一方で、本当は少し困るくらい、好きだった。

「どうしたの?具合、悪い?」

志摩子さんは黙り込んだままの私の手を取り、顔を覗きこんだ。
その距離の近さに、私は反射的に半歩後ろに下がった。

「大丈夫。ちょっとボーッとしてただけ」

「そう?でも本当に暑いし、そろそろここから出ましょうか」

そう言って、志摩子さんは私の手を放した。私はほとんど無意識に、離れていく志摩子さんの手を引いた。
志摩子さんは一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐにもとの通り穏やかな表情で私を見つめた。
その瞳には何の色もなく、ひたすらに静かで、私はそこから何も読み取ることができない。
突然の私の行動を咎めているわけでも、問い掛けているわけでもなく、ただじっと私を見ている。

「志摩子さん」

絞り出すようにして発した私の声は掠れていた。とりあえず名を呼んだものの、そのあとに続けるべき言葉が見つからない。

どうしたら、いい?

私は本当に困り果てていた。
志摩子さんはなにも言わない。かといって私の言葉を待っている風でもない。
不思議なくらい静かな瞳が私を捉えて放さない。

私は下がっていた半歩の距離を詰めた。
それ以上進んではいけない、だめだ、と頭の中で私は叫んだ。
それでも、それなのに、私は自分の心が解らない。私は何をしようとしているのだろう。
そして志摩子さんは何を思っているのだろう。

沈黙の中、突然、ざあっ、と風が吹いた。
その風の強さに、思わず一瞬意識が逸れた。
再び目の前の志摩子さんに意識を戻したとき、志摩子さんはもう私を見ていなかった。風の吹いていく方向を見る横顔には何の感情も無く、ただ綺麗だった。
半月ほど経ち、昨年同様、夏休みの薔薇の館で山百合会の活動が行われる時期がやって来た。
その日は活動の初日で、私は集合時間よりずいぶん早めに登校した。

窓を開けて換気しながら軽く清掃をし、ポットの電源を入れたところで志摩子さんが登校して来た。

「ごきげんよう、志摩子さん」

「ごきげんよう、乃梨子。……あら、少し日焼けした?」

「あ、わかる?日焼け止め塗ってたんだけどなあ」

色白な人はだいたい日焼けしにくい。久しぶりに会った志摩子さんもその例に漏れず、まったく日焼けをしていなかった。
それは日差しの強いときには長袖の上着を着たり、帽子を被ったり、色々と対策しているからというのもあるだろう。
もっとも、小麦色に日焼けした志摩子さんというのは想像もできないけれど。

二学期は行事が多く、まずはスケジュールの確認から行うことになっていた。
そういう細かい点の管理は昨年から志摩子さんがやっていたから、来年度は私が引き継ぐ方向で話が進んでいる。
お湯が沸くのを待つ間、私は志摩子さんの隣に座って、一緒に会議の資料を用意し始めた。
昨年の議事録を確認しつつ、各部の活動予定表を整理して分類していく。
分類した書類に目印をつけようとして、私は付箋を探した。

(あ、あった)

付箋はテーブルの上に広げた文具に紛れていた。
私はそれを取ろうと腕を伸ばした。

「……!」

心臓が、大きく跳ねた。
丁度マーカーか何かを取ろうとしたのだろう。志摩子さんの手が文具を並べた辺りに伸び、その上に私の手が重なった。

手を握ろうとしたわけではない。
偶然同時に同じ場所に手を出したせいで起きた事故。いや、事故とも呼べないような些細なこと。普通だったら手をどけて、ごめんと一言添えればそれで済む話。そもそも手を繋いだり、握ったりなんて別に珍しいことじゃない。
それなのに。
私も志摩子さんも身じろぎひとつすることなく、そして言葉を交わすこともなく、まるで時が止まったかのように、動くことが叶わない。

私は志摩子さんが何を考えているのか知りたくて、志摩子さんに視線を向けた。
志摩子さんも、私を見ていた。この間のように何の色もない、静かで透明な眼差しで、私を見ていた。
私は思わず志摩子さんの手を握りしめた。
その手は一瞬ぴくりと動いたけれど、それだけで、静かな眼差しは変わることなく、拒絶するような様子もない。

静かだった。
お湯が沸いたのか、ポットから聞こえていたコポコポという音は次第に小さくなり、やがて消えた。
しん、と静まり返った部屋の中、私と志摩子さんはやっぱり二人きりだった。
それを意識した途端、私の心臓はどきどきと高鳴った。
その時、握っていた志摩子さんの手が動き、その指が私の指に絡められた。
志摩子さんの眼差しは相変わらず静かなままなのに、私は自分の顔が火照るのを感じた。部屋の温度がゆっくりと上がるような錯覚に陥った。
どうしよう、どうしようと焦るばかりでなにもできない。
志摩子さんが何を考えているのか解らない。でも同じくらい、自分の気持ちが解らない。

どこか遠くで扉の開くような音がした。
はっと我に返ると、続いてかすかに階段を上ってくる音がして、私は慌てて志摩子さんの手を放し、立ち上がった。
そしてポットの方に移動したところで、部屋の扉が開いた。

「ごきげんよう」

「あ、と、瞳子、ごきげんよう」

「ごきげんよう、瞳子ちゃん」

瞳子は部屋に入ってくると鞄を置き、明らかに様子のおかしい私を見て、お茶を入れる役を引き受けてくれた。
私はなんとなく気まずい思いで志摩子さんの隣に戻っていく。

その時、志摩子さんと目が合った。
志摩子さんは先程までの、無表情と言っても差し支えない表情ではなく、いつも通りの穏やかな表情をしていて、そしてとてもとても優しい目をして微笑んだ。

その目を見て、私は解ってしまった。

私は志摩子さんのことが好きで。
でもそれは姉妹なんて枠には到底収まるようなものじゃなくて。
志摩子さんのことが他の誰よりも大切で。
いつだって誰よりも近くで、一緒に笑っていたい。
触れたい。抱き締めたい。

それから。

目眩がするくらい正直な気持ちに、涙が出そうになって、曖昧に笑って目を逸らした。

私は志摩子さんのことが好きだった。
泣きたくなるほど本気で想っていた。

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