私はそこに横たわっていた。
何をするのでもなく、ただ天井を見つめたまま。

「聖」

ここは、何処なのか。
呼び声に答えようとしたが、声が出ない。体も動かない。

「どうして泣くの」

泣いている?私が?
たしかめるために頬を撫でようとしたが、やはり動けない。

やがて声の主は近づいてきて、視界がさえぎられた。
そして、口づけ。
何度も、何度も、慈しむように。

「何を考えているの」

頬に感じるのは自分の涙だけではない。
明らかにこの人の。
この、人の……。



蓉子。



もはや自分よりも大切になってしまったあなたを。
私は決して泣かせたくはないのに。


泣かないで。


お願いだから……。
dream and dream
「いっ…」

目覚まし代わりに使っている携帯のアラームはとっくに鳴り終えていた。
二日酔いのときのように頭が痛い。
割れそうに痛いというのは、こういう痛みのことを言うのだろう。

時刻はすでに十二時を回っている。
今日は約束があるのに、なんてざまだろう。

痛む頭を押さえながら頭痛薬をミネラルウォーターとともに流し込んだ。
胃が荒れそうだけどそんなことを気にしている場合じゃない。

時間にはまだ余裕があった。
だからそれで急いでるわけじゃない。
ただ、あの夢は?
あれは何だったんだろう。



蓉子。



解らない。

アラームが鳴った。
もうそろそろ行かなければならない。
私は慌てて服を着替え、家を出た。
待ち合わせ場所には五分前に着いた。
それでもすでに蓉子は来ていて、ベンチに座って文庫本を読んでいた。
私は後ろから近づく。
そして、そっと抱きしめた。

「待った?」
「…まだ五分前なのに気にしなくていいわよ」

何も変わらない。
普段と同じ道を歩き、同じ店に入り、同じように食事をし、そしてまた歩く。
何も変わっていない。
不安とすることは、何もない。
だからこそ、拭えない違和感。

今、幸せかと聞かれて私は即答できるだろうか。

「聖?」

どこか上の空な私の様子に最初から気付いていながら、今まで何も言わなかった蓉子が口を開いた。
それは紛れもなく、心配しているという、ただそれだけの感情。
私はなんでもないと答え、再び思考に戻った。
右のポケットに手を入れて確かめる。


「これ」は、余りにも重い。


私は蓉子の気持ちを疑っているわけではなく。
彼女が自分に向けてくる感情が真摯なものであることも良く知っている。
そして私自身、彼女に執着し、失いたくないという感情も持っている。
しかし。

しかしこの、今右手に握った「それ」を安易に差し出すわけにはいかなかった。
拒まれるかもしれない。
いや、蓉子はすべて解った上で受け入れてくれる。
どこか確信している。
それでも私は迷う。
迷わずにはいられなかった。
「ふ……はぁ…」

次第に深くなっていくキスの中で。
自分はこの人に溺れているのだとさえ思う。
息をするのももどかしいほどに感じられる。
体温は上昇し、首に腕が回されるのも、わかった。
だがその腕に引き寄せられることを私は拒んだ。

「蓉子」

言わなければならない。
右手にある「それ」は、熱くなった手とは対照的に冷たかった。

蓉子の目の前で、私はポケットから取り出した手をゆっくりと開いた。
彼女は私の手と顔を交互に見る。
不思議そうな顔だった。

「蓉子、私が…」

解っている。
彼女が好きでもない人間と付き合えるほど器用でないことも。
私を本当に好いてくれていることも。

「…別れたいと言ったら、どうする…?」

疑っているわけではない。
確かめているわけでもない。
ただ、そう。
私は心のどこかで考えていた。
たとえ私が蓉子から離れることがあったとしても、蓉子はそれをあっさりと受け入れるのではないかと。
仕方ないというように笑って受け入れるのではないかと。

「どうして…」
「違う、蓉子のことは、好きだよ」

誰よりも、何よりも、好きで。
許されるなら愛していると言ってもいい。
それなら。

私は、何を欲している?

手の上にあるのは、ただの装身具。
それが自分を拘束する枷であることを知っていて、蓉子は受け入れるだろう。
だが私は、反対に彼女が相手にそれを求める人ではないことも知っていた。


それが、不満だった。


不安でもない、信じていないわけでもない、それでも。
私はわがままを言ってもらいたかったのだと。
今、気づいた。

「…いや…」
「ごめん」

あの夢と同じように。
不安なときは私を、無茶苦茶にしていいから。
ちゃんと言ってほしくて。

「…いや…」

泣き出してしまった蓉子を抱きしめながら。
私は何度も何度も、ごめんと囁いていた。

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