I can't go yet nowhere.
気持ちよく晴れた高い空。
美しい青が広がり、わずかに浮いた雲がゆっくりと流れていく。

芝生の上に座り込んで、私はぼんやりと空を眺めていた。

「だーれだ」

いきなり、後ろから抱きつかれた。それだけではなくて手で両目を塞がれた。

「なんですか、聖さま」

特になんの反応も示さずに答えると、聖さまは手を離して「ばれちゃった」と言いながら舌を出した。
三つも年上とは思えない、道化た仕草に少し呆れる。

「よくわかったねーノリリン。もしかして愛の力ってヤツ?」

「ずいぶんプラス思考ですね。っていうかノリリンっていうのやめてください」

大体、こういうふざけたことをしてくるのはこの人くらいなのだ。
そして私と対するときは特別ふざけているような気もする。可愛がってもらえている、ってことなのかもしれないけれど。

「今日は志摩子と待ち合わせ?」

「ええ、ちょっと早く来すぎましたけど」

今日は大学が終わったら会う予定だった。最後の講義が休講になったので迎えに行く、とメールを打ってからリリアン女子大までやって来た。

「あー、あと十五分くらいか」

聖さまはポケットから携帯を取り出して時間を見る。
講義時間中なのにこんなところにいるのは、たまたまこの時間に受講している講義がないからなのか、はたまたサボりなのか。退屈そうにひとつ欠伸をして、私の左耳のイヤホンを眺める。

「何聴いてるの?般若心経?」

「殴りますよ」

「それは勘弁。……どれ」

止める間もなく、聖さまは私の膝に置いてあったもう一方のイヤホンを手にとって自分の耳に嵌めた。

「……意外だねえ」

「心外ですね」

しばらく聴いてから、首をかしげた聖さまに形だけ抗議する。
何度もリピート再生している、切ないというよりは苦しいようなラブソング。
決して叶わない恋の歌。

「どうして?」

幾分真面目に、聖さまが訊く。どうしてこんな曲聴いてるんだ、と。
私は答えなかった。
単純に好きだから聴いている、という誤魔化しなど通用しそうもない人に対して、言い訳なんてしたくなかった。
聖さまもそれ以上訊かなかった。
ただ、ぽんぽん、と頭を撫でて黙って傍にいてくれた。
志摩子さんは意外に嫉妬深い、ということは最近分かってきたことだ。
今日だって志摩子さんのお姉さまである聖さまと話していただけなのに、二人きりになってから少し拗ねるような表情をしていた。それから、いつもより少し乱暴だった。
才能や努力で、何をしても大体上手くこなす人がいるが、志摩子さんは後者のタイプで、それはこんなときでも同じことだった。
特に技巧に優れているわけではないけれども、その愛撫は上手いと言えるもので、ゆっくりと時間を掛け、そして確実に高みに上げられていく。
濃密な行為に私はいつも翻弄されてしまう。

「……っ、あ……志摩子さん……もう……」

達しそうなギリギリの辺りで焦らされて、私は音を上げ、志摩子さんの熱の篭った瞳を見て、いつも安心する。

まだ私のことを好きでいてくれている。
そう思って。



私は志摩子さんの笑顔が好きだった。何の屈託もなく、無防備に口を開けて、心から笑っている笑顔が見たくて、私はいろんなことをした。
志摩子さんが好きで、一緒にいたくて、いつだってしたいことをしてほしくて、でも、そうすればするほど、私は怖くなった。

志摩子さんは控え目ではあるけれども、拗ねたり、我儘を言ったり、甘えてきたりするようになった。
それは幸せな変化だったのに、私は唐突に気付いてしまった。

変わらないものなんて、何もない。

だから、いつか。
「なあに?」

一緒に出掛けた先で入った喫茶店で、向かい合っている志摩子さんが小首をかしげて訊く。
私はそこで初めて自分が笑っていることに気が付いた。

「なんでもないよ」

「なんでもないことはないでしょう?」

「本当に、なんでもないよ。……ただ、ね」

テーブルの上に出した左手の上に志摩子さんの右手が重ねられて、少しどきりとする。

「好きだな、と思って」

正直に言った言葉に志摩子さんの右手がぴくりと動いた。
顔を赤らめて視線をどこかに泳がせている様子に、私は心の中でもう一度「ああ、好きだな」と呟く。
それから志摩子さんは指を絡めてきて、何とも言えない表情をして少し笑った。

その表情が何を意味しているかなんて、私は知らなかった。

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