水野蓉子はすっかり冷めてぬるくなった紅茶をすすりながら思った。
世の女子大生はイヴに恋人がいないとこんなに暗くなれるものなのか、と。

これは自分が中学、高校と女子校に通っていたからわからないことなのだろうか。
ヤドリギの下で
今年最後の講義が終わった後、友人たちに誘われるままに来てみれば、まるでお通夜。
狭いカラオケボックスで、自分以外の全員が項垂れている。
なんだかこちらもため息の一つもつきたくなってくるではないか。

ふと腕時計に視線を落とすと六時になったばかりだった。
少し早いけれど、この辺でお暇させていただこう。
このまま学友たちの暗い顔を眺めていても仕方ない。

「あの…この後待ち合わせしてるんだけど、いい?」

蓉子が恐る恐る話しかけると全員の目がギラリと光った。

「……誰と?」

誰とでもいいじゃないか、と思うが今そんなことを言ったら何をされるかわからない……気がする。
みんな目が据わっていて、正直言うと怖い。

「高校の、友達…だけど」

蓉子が女子校に通っていたということはこの場にいる全員が知っていた。
途端に視線がやわらぐ。
あっさり抜けることを許してくれたのはいいのだがちょっと複雑な気分の蓉子だった。
「ふーん。それで蓉子ちゃんはその空気に居たたまれなくなった、と」
「まあ、そんなところ」

イヴを好きな人と過ごしたい、という彼女たちの気持ちもわからないわけではないのだ。
だけど友達としてしか側にいられないのも悲しいと思わない?

「あれ、食べないの?」
「食べるわよ」

先ほどからあまり減っていないレアチーズケーキに、聖がフォークを伸ばしてきた。
その手に軽くプスッと自分のフォークを突き刺してやる。
聖は「痛いなー。もう」とか言いながら自分のケーキを突付いていた。

実は、ここは聖の家のリビングである。
やはり街は人が多すぎてゴミゴミしているし、落ち着ける場所というとお互いの家しかない。
ちょうど聖の家に誰もいなかったからこっちに来ただけ。
遅くなっても(少し運転が不安だけど)車で送ってくれるというから来ただけ。
たまたま蓉子がフリーだったから誘われただけなのだ。
江利子だってあの……花寺の教師に付きまとっていなければ誘われたに違いないし。

別に何かを期待しているわけじゃない。
ただ、聖と二人きりでこうしてイヴを過ごすということが初めてだからちょっと舞い上がっているだけ。
それだけなのだけど。

(自分で舞い上がっていると認めてしまった)

聖はまだのん気にケーキを突付いている。
それからその左手にはグラスが握られていて…

「あ―――!!」
――っ」

蓉子が突然大きな声を出したものだから、聖は口に含んでいた液体を漏らすものかと必死に耐えて、むせた。

「聖、あなた、いったい何飲んでるのよ!」
「…何って」

少し涙目になりながら聖が手渡してきたのはスパークリングワイン。
ちなみにアルコール度数は7%……わりと低いけれど、紛れもないお酒だ。

「車、運転できないでしょう!?」
「えー?だって…」

なにか、弁解があるらしい。
口元を拭きながらこちらを向いた聖の顔はあまりに間抜けで、ため息が出た。

「最初から帰すつもりなかったし。それに車、ないし」
「はあっ!?」

車、ない?
ううん、それよりも帰すつもりないってどういうこと?

「蓉子本気で帰る気だったの?」

それは困ったなーとか、言われてもどうしようもなくて。
たしかに予定はないから泊まってもいいけれど、そんなの。

「だって、泊まるつもりなかったし」
「うわっ。それってショック」

聖は大袈裟に肩をすくめると蓉子を見つめて、少し笑った。

「期待してたのに」
「どういう、意味…?」
「今日みたいな日にだよ?好きな人が自分の家に来てくれた。……期待するなって言う方が無理じゃない?」

ちょ、ちょっと待って。
今聖は…。

「なに、言って…」
「なにって」

がっかり、という風なため息をついて、聖は蓉子に近付いてきた。
すぐ横に聖の端正な顔がある。こんなに近くで聖の顔を見たのは初めてかもしれない。
カッ、と顔が熱くなった。

「一応口説いてるつもりだけど」
「!」

聖にそんなことを言われたのも初めてだし、そもそも誰かに口説かれたことなんてない。
だけど、聖が本気なのはわかった。

どうしよう。
どうしたらいい?

こういう状況を期待していなかったといったら嘘になる。
けれど実際起こってみて、どう対処したらいいのか蓉子には判断がつかない。
このまま流されてしまっていいものだろうか。

「ところで蓉子はどう思ってるの」

私のことは。と、少し恥ずかしげな顔(しかも、正座)で覗き込んできた聖は当人に言ったらどんな顔をするかわからないけど、とても可愛らしかった。

「どう、って……」

視線を避けながら、聖と距離をとる。
気づいた聖はまた距離を詰める。
もう一度距離をとる。
距離を詰める。
その繰り返しで、蓉子はとうとうソファの端に来てしまった。
ギッ、と軋む音がする。
無理な姿勢をしているから、ちょっと体重をかけられたらきっと……。

「言ってくれないんだったらキスするからね」
「え!?ちょっ――

古典的だけど、その先は言えなかった。
聖が、問答無用とばかりに唇を重ねてきたから。
それにしても。
言わなかったらキスするなんて言われたら絶対に言うはずないのに。

(聖のバカ……)

「好き」なんて絶対に、言ってあげないから。
すぐ横のテーブルの上で携帯電話が鳴っている。
ああ、そういえば泊まるって言わなかった。
きっと両親だ。
でも…。


チラッと携帯に目をやると、聖が右手を伸ばして電源を切ってしまった。
肩から指先までの線が、凄く綺麗だと思った。


ごめんなさい、明日きっと電話するから。
今は邪魔しないで。
許して。

Happy birth day. 聖。

私が、一番に言ったのは。
初めてよね。
叶うならこれからも、ずっと。

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