誰の目にも触れないように。
誰にも気づかれないように。

自覚してからはそればかり考えていた。
目を見る回数が減り、そばに立つときに距離を取るようになり、二人きりになるのを恐れて近くにいる誰かを探す。
だから凛ちゃんに避けていると思われたのは当然で、でもだからといって今まで通りを意識すれば自分自身を誤魔化すことすらできなくなって、会いたいとかそばにいたいとか、触れたいとか、そんな気持ちで心の中が塗りつぶされていくのを止めることもできなかった。

初夏を迎え、梅雨を過ぎ、学校が夏休みに入る頃。シンデレラプロジェクトはみんなそれぞれ少しずつ仕事が増え、学校の期末考査も重なって、最後に凛ちゃんと顔を合わせてからは二週間が経っていた。
それも私が打ち合わせに入る前の空き時間に事務所の別館で行われていた凛ちゃんの撮影を遠くから見ていただけで、小さく手を振ってくれたから認識はしてくれたと思うけれど、直接話をしたのはそれよりも三日は前。
電話は夜寝る前に連絡事項と少しだけの近況報告をした一週間前。
チャットアプリでのやり取りは雑誌のP.C.Sの記事を見たよって感想を貰って、お礼を伝えた二日前。

会えない日々を数えてくたびれてしまった頃、私たちにとって二回目の夏フェスのためのレッスンが始まった。



「卯月」

「…凛ちゃん」

ユニット単位での練習を終えて、次の全体練習までの間の休憩時間。
休憩室の隅で休んでいた私の前、いつのまにか凛ちゃんが立っていた。

「どうしたの?こんなとこで一人で」

「あ、ちょっとぼーっとしていただけで」

「なら、いいんだけど」

私の返事を受けて、心配性な凛ちゃんがほっとした、って目をして微かに笑う。それを見て私は困ったなぁ、って思う。
こういう時の凛ちゃんの目はとても優しくて、今の私にはとても毒だ。

本当は、凛ちゃんのことを考えていたんです。

そう言ったら、何か変わるのかな。何も変わらないのかな。変わるとしたら良い方じゃないんだろうな。でもきっと凛ちゃんはからかわないでよ、って言って困った顔をする。
他に誰もいないのに律儀に隣、いい?って訊いて、頷くと凛ちゃんは私の右側に座った。

「なんか、久しぶりだね」

「ふふ。凛ちゃんこそ、どうしたんですか?それ、今日二回目ですよ」

事務所で今日最初に会ったとき、挨拶とセットで凛ちゃんは同じことを言った。久しぶり、って嬉しそうな目をして。
今だって、そう。穏やかで、嬉しそうで、楽しそうな、そんな目をしている。

凛ちゃん、もしかして寂しかったんですか。
少しだけからかうような口調で訊いたら、まあ、そうだけど、ってふいっと目を逸らされた。
その様子に私はちょっと悪戯心が働いて、凛ちゃんは寂しがりやさんですねって言おうとした。

「卯月は?」

「え?」

「卯月は、寂しくなかったの?」

私に会えなくて。

って。

「…凛ちゃん、私に会えなくて寂しかったんですか?」

「だ、だからそうだ、って言ったでしょ」

凛ちゃんは赤くなって、ぷいっと反対側を向いてしまった。
綺麗な黒髪の隙間から覗く耳まで赤くなっていて、私は凛ちゃんがみんなに会えなくて寂しかったんですね、って言ったつもりなのにそんな返事が返ってくるなんて想像もしていなくて、凛ちゃん私に会えなくて寂しかったんだ、ってようやく言葉の意味が頭に入ってきて、どうしよう、って思ってしまう。
ねえ凛ちゃん、本当ですか。会えなかった間、少しでも私に会いたいって思ってくれたのかな。でもそんなこと訊いてどうするんだろう。もしも、そうだよって答えてくれたとしても、私たちは仲間だから。友達だから。

私はこっちを向いてほしくて、レッスン着の袖を軽く引いて、凛ちゃん、って呼んだ。
凛ちゃんは顔を正面に戻して、窺うように横目でちらっと私を見て、私の言葉を待っている。

「私も、寂しかった、です」

声に出すと恥ずかしくなって途切れ途切れに小声で言うと、凛ちゃんはようやくこっちを向いてくれて、えぇと、あの、その、とか呟いて黙ってしまった。
私も凛ちゃんもお互い目を合わせられなくって、もしかするとこれは結構恥ずかしい状況なのかもしれない、ってそこで初めて気が付いて、何か言わなきゃって考えるけど何も思い浮かばない。
今年の全体曲は去年よりも難しいですよね、なんて今言ったらおかしいし、ああどうしたらいいんだろう。

「しまむー、しぶりん、何してんのー?そろそろ集合だよー」

「あ、未央!ありがとう!」

丁度廊下を通りかかった未央ちゃんの声に、先に反応したのは凛ちゃんだった。
凄い勢いで椅子から立ち上がったから未央ちゃんはちょっとびっくりして、な、何?しぶりんどうしたの?って言ってから首を傾げてレッスンルームに歩いて行った。
後姿が見えなくなってから、やっと凛ちゃんは深いため息を吐いて肩の力を抜いた。

「私たちも、行こうか」

「そうですね」

返事をして立ち上がろうとすると、凛ちゃんが、ん、って手を差し出してきた。
いつもはこういうことしないのにどうしたんだろうって思いながら、ちょっと嬉しくて私はその手を取って、凛ちゃんが引っ張るのに合わせて立ち上がる。

「うわぁ、っと、と」

「だ、大丈夫?」

凛ちゃんが引っ張る力が強かったのか、それとも私が勢いよく立ち上がりすぎたのかどうなったのかわからないけれど、足がもつれて転びそうになってしまった。
慌てて凛ちゃんが肩を抱くようにして支えてくれたおかげで転ばずに済んだけれど、急な接近にドキドキして気づかれたらどうしようって焦りながら、ありがとうって言おうとした。

でも。

「…凛ちゃん?」

どうして、そんな顔、してるんですか。

顔を上げたら思ったよりも距離が近くて、でも、そんなこと気にならないくらい私は別のことに動揺していた。
凛ちゃんが至近距離で私をじっと見つめていて、表情なんて何も変わっていなかったのに私はなんだかそれを分かってしまって。
肩に置かれた手が、私の手を握っている方の手が、微かに私を引き寄せようとしたのが分かってしまって。

「行こう」

「…はい」

肩も手も呆気なく放されて、凛ちゃんが背を向ける。

レッスンルームに辿り着くまでの間、凛ちゃんは一度も振り向かなかった。

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